習志野市
日本で初めて
◆女流飛行士第1号
稲毛海岸(千葉市)にあった民間飛行場で活躍した伊藤音次郎は、大正4年(1915年)1月に「伊藤飛行機研究所」をつくりましたが、大暴風雨で壊れてしまいます。
そこで大正7年(1918年)4月に同研究所を鷺沼海岸(習志野市)に移し、飛行機の研究や製作、飛行士の養成に力を尽くしました。ここを卒業した飛行士の中には、NHK朝の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」のモデルになった女流飛行士第1号の兵頭精(ただし)がいました。飛行大会などでは、彼女を一目見ようと会場が満員になったそうです。
また、伊藤音次郎の一番弟子である山縣豊太郎は、民間初の宙返り飛行を 成功させるなど天才飛行士として絶賛されていましたが、連続3回宙返りの際に翼が折れて、鷺沼の畑に墜落死してしまいます。その死は新聞の号外で報道され、一般の人々にも大変惜しまれました。現在もその場所に「山縣飛行士殉空之地」の石碑が建っています。
本日、習志野市秋津自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて
習志野市谷津 モリシア津田沼に行かれました。